自他ともに認める強いコダワリで完遂
「1度レストアしたら、情が湧いて手放せないんですよ。小さなクルマには強く惹かれますし」。イセッタとメッサーシュミット、数台のスクーターが並ぶ狭いガレージを眺めながら、デイブ・ワトソン氏が微笑む。
【画像】バブルカーのBMWイセッタとオレンジのFMR KR200 現代の電動マイクロカーたち 全134枚
彼は、設計や溶接、成形技術に長けたレストア職人だ。1度興味を抱いたら、クルマに限らずどんなモノでも、自他ともに認める強いコダワリで仕事を完璧にこなす。「うまく行かなければ、もう一度やり直します。その繰り返しです」
つい最近仕上げたのが、1920年代に製造されたミシュラン社製のエアポンプ。新品同様になったそうだ。この作業で、ワトソンは新たにゴムの鋳造技術を習得したらしい。
「自分が幼かった1970年代には、イセッタはまだ町中を走っていました。近所のガレージに、停まっていた記憶があります」。と昔を振り返る彼は、クルマを通じて機械に対する情熱を強めていった。
大人になってしばらく過ぎた1992年、彼は偶然手にした自動車雑誌で、バブルカーと呼ばれた戦後のマイクロカーの特集記事を読んだ。その時、小さなクルマに対する気持ちへ火が付いたようだ。
早速「ナショナル・マイクロカー・ラリー」というイベントを訪れ、後に彼の所有となる、1959年式イセッタ 300を目にする。そのオーナーは、ロンドンから北西に離れたアリスバーリーの町から、50kmほど離れた場所に住んでいた。
「ボディは今のようなブルーではなく、イエローでした。分解し、新しいフロアパネルを溶接しました。その頃の自分に、今のような技術はなかったですが」
1本のリアタイヤが英国仕様の目印
タイトな車内の左側にステアリングホイールが付いているが、これはれっきとした英国仕様だ。グレートブリテン島に存在する多くの例と同じく、ワトソンのクルマも、イセッタ・モーター社のブライトン・ロコモーティブ工場でライセンス生産されている。
「イセッタには、BMWのエンブレムが付いているものもあれば、ないものもあります。かなりランダムなんですが、製造されたタイミングで工場に在庫があったかどうかで、有無が決まったようなんですよ」。ワトソンが笑う。
BMWは第二次大戦後の1955年、イタリアのイソ社から、イセッタの製造ライセンスを取得。英国のブライトン工場で製造された車両は、そのコピーだった。
英国仕様の目印となるのが、リアタイヤが1本なこと。当時の英国では、三輪車に対し購入税が優遇される制度があり、販売でメリットがあると考えられたためだ。だが、四輪仕様もアジアやアフリカの英国連邦諸国に向けて製造されていた。
イセッタの初期型は、すべて左ハンドル車だった。エンジンをシャシーの反対側へ搭載することで、ドライバーの体重とのバランスが取られていた。後に右ハンドル車も製造されているが、バラストを積んで安定性を担保していた。
また、ブライトン工場で作られたイセッタの電装系には、ドイツのボッシュ社製ではなく、自国のルーカス社やガーリング社の部品が用いられた。エンジンとボディはBMWが供給していたが、シャシーも、英国のルベリー・オーウェン社が製造していた。
30年も手が加えられ続けてきたイセッタ
ブルーに塗られたイセッタ 300を、ワトソンは手を加えながら楽しんできた。これまでの30年間、希少部品が見つかる度に交換し、新しい技術を習得する毎に不完全な部分を直してきた。再塗装も数回している。
「サンルーフの素材が何なのか、時間をかけて調べたことがあります。表面に、木目の模様が入っているんです。英国のイセッタ・オーナーズクラブが復刻したサンルーフは滑らかで、完全には正しくありませんでした」
「ドイツ在住のマニアへ連絡を取ると、本来の素材はあと5mしか残っていませんでした。成形後のサンルーフは3点のみ。すべて購入し、2点はオーナーズクラブのメンバーへ譲っています」
しかし、インターネットの普及で近年は情報共有が進んでいる。英国のオーナーズクラブは、北米や南米、ドイツのクラブと協力しながら部品を捜索。正確に再生産することが可能になったという。
ワンピースのステンレス製バルブも、新たに開発された。BMWのエンジンは基本的に堅牢だが、バルブがアキレス腱だった。2万kmから3万kmほどで劣化し破損。シリンダー内に落ち、コンロッドがクランクケースを突き破るトラブルが珍しくなかった。
ワトソンは、イセッタのレストアだけでは飽き足らず、1958年式ベスパもレストア。ガソリンポンプの再生でも技術を磨き、新しいレストア対象を探すことにした。仕事にやりがいを感じる、機械である必要があった。
11年を費やしたメッサーシュミットのレストア
限られたガレージへ収めるには、マイクロカーである必要もあった。そして以前から、メッサーシュミットに興味を抱いていた。2006年に行動へ移した彼は、オーナーズクラブの会報を入手。ワンオーナーの1962年式KR200が、販売されているのを発見した。
その日のうちに、ロンドンへ向かったらしい。「メッサーシュミットは、自分のターニングポイントでした。大破した状態だったんですよ」
復元を決意したワトソンは、金属を加工する旋盤とフライス盤を購入。これまでの経験を活かしながら、ライフワークといえる仕事に着手した。「この状態までに11年かかりました。途中、嫌気が差して放置していた期間もありますが。1年半くらい」
始めに着手したのは、錆びていたボディシェル。パネルの大部分は新たに作り直された。アクリル製のドームは、正しい形へ成形するため2回試作したらしい。
完成したKR200は、2017年に開かれたクラシックカー・イベントへ出展。見事にRACトロフィーを受賞している。
自身の技術を更に高めたワトソンは、再びイセッタへ。2016年のグッドウッド・リバイバルで、BMWブースへ招待を受けるほどの状態にあったのにも関わらず、ボディとシャシーは分離された。
「数年前のナショナル・マイクロカー・ラリーで、誰かがシャシーの色が間違っていると発言したのを耳にしていました。自分でも、オリジナルとは違う部分を別に見つけていたんです。ボディを降ろし、改めて作業するしかないでしょう!」
この続きは、完璧主義なバブルカー・マニア(2)にて。
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